こんばんは ましゅーです。( -д-)ノ
( ゚д゚)ウム ”大山祇神社”だよ。
ねこーん
今回は【神社仏閣】記事を書いてます。記事の内容は”香川の田村神社”なのだけれど、表紙の写真は”愛媛県の大山祇神社”です。
これは、”アイキャッチ画像として大山祇神社の写真”を用いているというコトです。ちょっと混同される方もいるかも知れませんがご了承願います。
ここから本編
今回の話題は【神社仏閣】です。
ねこーん
(  ̄っ ̄)ムゥ そうなんだよネ。
ねこーん
目的の下調べ。
φ(.. ) 先ずは調べてね。
少し時間が空きましたが、久しぶりの【神社仏閣】記事です。
ねこーん
( ゚д゚)ウム 寒空が良いのよ。
久しぶりに休日出勤が無かったので、香川の一宮である”田村神社”へ行く事にしました。「冬の神社はピンと張りつめた糸の様な緊張感が素晴らしい。」ですのでとても楽しみですよね。
出かける前に先ずは下調べ。神社に赴くときは御祭神の事や由来を調べてからお参りすると、楽しさが倍増すると思いますよ。
それではさっそく紹介してゆきましょうか。
概要
香川県高松市一宮町にある神社となります。
(・∀・)つ 地図貼っとく。
ねこーん
街中…なのかな? 近くにはローソンもあり、比較的、開けた場所にある神社です。讃岐国の一宮となり、旧社格は国幣中社。現在は神社本庁の別表神社となっています。
由緒
御祭神は、”倭迹迹日百襲姫命”、”五十狭芹彦命(吉備津彦命)”、”猿田彦大神”、”天隠山命(高倉下命”、”天五田根命(天村雲命)”の五柱が御祭神となり、総称で”田村大神”と呼びます。
当神社起源は極めて古く社記によれば和銅2年(709)に社殿が創建されたとあり往古より「田村大社」「定水大明神」又は「一宮大明神」とも称され、人々により篤く崇敬されてきた。
パンフレット 田村神社略記より
Σ(・ω・ノ)ノ! 五柱は多いな。
ねこーん
少し早めに行ったのですが、暫くすると神社駐車場がいっぱいになる位の参拝者が来訪されていました。僕は大鳥居の駐車場に車を停めましたが、20~30台(もっとイケるかな?)の車を停められるようになっていました。
深淵
社奥殿の床下に深淵が在るそうです。厚い板で覆っているらしいのですが、盛夏であっても凄冷の気が満ちているそうです。こんな珍事録もあるそうです。
明暦元年(1655)神社より社殿の改築工事の申請を受けた普請奉行竹村斉庵は、神官へ社の下の淵を見たいと言い出した。困った神官はどんな祟りがあるか分からないと断ったが、それでも是非見たいと言うので神官はそれではと淵を見せたところ、しばらくして水が逆巻き上がり、其の中から竜が紅の舌を巻き三間ほど頭を出して斉庵をにらんだ。斉庵は心地悪くなり、駕籠で家に帰り、家内へその仔細を言いつつ死んでしまった。
その後工事も半ばになった時、淵の蓋の真ん中に二尺ほどの穴が明いていて、その穴へ鑿を落とし込んでしまった。するとしばらくして竜が現れその鑿を角に掛けて差し出した。大工は恐れて足で鑿を挟み上げたところ、大工はたちまちに死んでしまった。
誠に生き神の報いであり恐ろしいことである。
パンフレット 田村神社略記より
(;゚д゚)ゴクリ… 神罰こええよ。
ねこーん
それでは…出立。
ε=ε=ε=(┌ ^ω^)┘ 行くぜ!
出立は少し遅めの8時30分となりました。
(-ω-;)ウーン まあ、あんまり遅くもないケドね。
ねこーん
香川へ向けて
”松山自動車道”に乗り、先ずは東を目指します。愛媛県内での休憩はナシ。というか、午後から用事もあったため、行きの休憩は”高瀬PA”でトイレに行ったのみです。
(  ̄っ ̄)ムゥ ツマラン。
ねこーん
関係ないですけど、高瀬PAの男子トイレでは燕が巣を作っていたみたいです。(巣はまだありましたよ。)もう巣立ったのか燕はいなかったですけど、こういう優しさもまた良いものですね。PAの人たちが巣の下に板を引いてましたので、燕のフン害もなかったですよ。
この後、特に大きな出来事もなく神社へ到着しました。
( ^ω^)…今回はココまでやね。
ねこーん
今回はココまでとしておきます。
それではでは…、
失くしたくないもの、大事にして来たもの。形には見てなくても貴方の心に生き続けるモノ。それらを思い起こすには静かな処で自分を見つめ直す時間があれば良い。雑踏と喧騒の毎日から逃れ、心洗われる時間を時間を過ごしては如何ですか? では、また、次記事で…。
(。・ω・)ノ゙ し~ゆ~。
ねこーん
何が不満だったのかしら…いい天気すぎてピリッと引き締まった感が薄かったとか?
( ゚д゚)ウム 次記事で説明だよ。
深淵が気になります。次で出てくるかな?
いや、出てこない。(´・ω・`) 一般公開してないと思います。